僕が学んだことは、「人の評価を気にする者は人並みになる」ということである。
おそらく、世間の酷評というのは、「だから、俺は買わないんだよ」という理由を見つけて安心したい人が大勢いるから広まるのだろう。TVや新聞がネットの悪い点を書き立てるのも、「ネットをやろうと思っていたけど、やらなくて良かったよな」と安心したい人が大勢いたからだった。まあ、そうやって安心したい人は、ずっと群れから離れない方がよろしい。
人によっては、ストーリィが内容そのものだと認識している。たとえば、読書感想文に、あらすじを書く人がいるけれど、あらすじを把握することが小説を読むことだと考えているみたいだ。あらすじを一切書かないと感想文が書けない、なんて人もいる。「じゃあ、何のために小説を読んだの?」と僕なんかは思ってしまうのだが……。

教訓

プログラムを抽象化するのは大いに結構だが、サービスまで抽象化してはいけない。

現実はもっとわかりにくい憂鬱さに満ちている。そしておめでたい僕達は、隣に座っている憂鬱にさえ気づかない始末だ。
リスクコントロールをしすぎてサービスを忘れた
3年くらいこのモデルを続けて改めて痛感したのは、ソフトウェアのビジネスは、パッケージビジネスであれ、ウェブのサービスであれ、スケーラビリティがなければある程度以上伸びない、ということだった。
汎用的に使えるソフトウェアを開発しても、お客さんごとに毎回訪問してソフトウェアの説明をし、トラブル発生時にも毎回直接対応していくモデルだと、原材料なしに複製可能というソフトウェアの産業的特性が十分に活きてこないし、突発的なトラブルによって新バージョンの開発予定がずれ込んで新機能を待っていた多くのお客さんに迷惑をかけてしまう、というようなケースも出てくる。
そこで、ある程度案件の状況に左右されず新機能や新製品の開発を進めることができ、なおかつ現場の声が聞こえなくならないよう、直接販売をある程度残しつつ、間接販売をメインに据える、というのが、ソフトウェアビジネスのスケーラビリティを考慮した上でのアプレッソの経営戦略だった。
必要なものは高くても買う、不必要なものは安くても買わない
ネットのセキュリティ問題が、いかにもユーザにとってのリスクのように言い訳的に使われているけれど、そうではなく、主として銀行やカード会社のリスクなのだ。それをユーザの心配にすり替えているようにしか見えない。